私が開業した理由
何か良いダイヤモンドある?
予算は30万円。急いでいる。
実はこの言葉、私が整体の仕事を志す切っ掛けとなった言葉です。
詳しいことは後程お話するとして…このページでは私が「どのような経緯を経て」「なぜこの整体という仕事を始めたのか」についてお伝えします(実はよく受ける質問でもあります)。
そうした中から感じた様々な思いが当整体院の「一人ひとりと寄り添う整体院を目指す」という理念や施術の方針に反映されているので、少し長くなりますが最後までお付き合い頂けると嬉しいです。
私は大学を卒業後、某百貨店の子会社へ就職しました。
「生活に近い・寄り添う」商品を扱う部署への配属を希望していましたが、実際は「生活からは最もかけ離れた」商品を扱う「宝飾品部」への配属。世の多くの男性と同じく宝石に関する知識も興味も全く無い人生をそれまでは送ってきたので、配属決定の際は「なぜ自分が?」という思いだけでした。
しかしもう学生ではありません。気持ちを切り替え、宝石に関する知識をとにかく詰め込みました。何より社会人としての経験が無い訳です。納得出来ないことがあっても「仕事とはこういうモノ」と思い、そして就職氷河期と言われていた中で私を採用してくれた会社に恩返しをしなければとも思い、私なりに会社に貢献しようと頑張りました。
学生時代には想像すらしなかったデパートの宝飾品売り場での接客や販売も経験させてもらいました。今までと違う世界で新しいことを吸収する楽しさはありましたが、このまま今の業界で一生過ごすのかという覚悟までは出来ず、何だか消化不良な毎日が続いていたのもまた事実です。
そこで冒頭の言葉です。社会人になり2~3年目の頃、高校時代の親友から久し振りに掛かってきた電話での一言でした。
「何か良いダイヤモンドある?予算は30万円。急いでいる。」
彼も私とはそれ程変わらないはずの給料、20代半ばの一般的な会社員にとって30万円は決して安くない金額です。何か特別な理由があると察し、詳しく話を聞くと…妊娠中の奥様の体調が母子共に芳しくないとのこと。そこで「後回しになっていた婚約指輪をプレゼントして何とか少しでも元気付けたい、協力して欲しい」とのことでした。
苦楽を共にした親友が困っている状況です。そこで私は何とか彼の力になりたいと思いました。いま出来る最大限のことを彼にしたいと思い、無理を承知で上司に相談をしました。
幸いにも上司からの理解を得ることが出来、予算内かつ会社が損をしない範囲内での最高グレードのダイヤモンドの婚約指輪を友人に届けることが出来ました。そしてこの一件は私個人としても、社会人になって初めて「自分が出来ることをやり切った!」と満足感を覚えた出来事となりました。
その数か月後に奥様は無事に出産。母子共に健康とのことで、自分自身のことのように嬉しかったことを今でも覚えています。後日談として「周囲の人のより大きくて綺麗なダイヤだった」と奥さんが喜んでいたとの報告もありました。当然ですよね(笑)
当時20代半ばの私にとって健康は「当然」のことでした。
疲れていても一晩寝れば翌朝には回復しているし、そもそもそうあることが当たり前過ぎて健康のことなど考えたことが無かったように思います。
それ以前に祖父やペット(妹が小学校から貰ってきたウサギ)の他界がありましたが、その頃は小学生。健康のことなど知る由もありません。そして私自身高校までサッカー部でしたが、幸いにして選手生命に関わるような大怪我もありませんでした。そんな私に初めて「健康の大切さ」を教えてくれたのが、この親友夫婦の出来事でした。
その数年後、「健康の大切さ」を再び痛感する出来事がありました。
今度は父の病気です。
治療を続ける中で体調も優れず、大好きな競馬場(府中)にも行けず。
病院に見舞いに行くと、当然ながら周囲は病気の方ばかりです。「病気で困っている人ってこんなに多いんだ」と驚いた記憶があります。
そしてその時に思ったことが
「健康あっての仕事、健康あっての趣味、健康あっての生活」
ということ。
そして「医者ではない自分にも何か出来ることはないのだろうか?」ということでした。
指輪の時のような思いが甦ってきたのです。
当時の私は30歳直前。実は私が所属する会社もこの先どうなるのか分からないという不安定な状況。そんなこんなで自分の将来について真剣に考えるようになりました。
しかし、実際の私が置かれている状況といえば…立ち仕事で足腰が辛く、休日出勤が多く、体調が優れないことで心にも余裕がなくなり、私自身のこと・目の前のことで手一杯。ミスが増え、遠くを見ることも出来ず。ミスを取り返すために更に時間を使う…正直言って悪循環な日々でした。
何とかこの「負の連鎖」を断ち切らなければ!」と思い、「取りあえず体だけでも楽にしたい」と整体を受けたのですが、そこでの経験がその後の私の人生の転機となったのです。
定期的に通い体調が改善してくると、予想外の変化が自分に起きてきました。
何と心にも余裕が生まれてきたのです。前向きになり、自分に・家族に・周囲に優しくなれました。以前と比べ的確な判断が出来るようになり、何か新しいことにチャレンジしたくなりました。
「体と心は連動している」と実感しました。整体って凄いな、自分の人生だって変えられるかもしれない。こういう「人と寄り添う仕事をしたい」そんなことを感じました。社会人1年生の頃の初心を思い出したのです。そして実際に仕事を変えてしまいました(笑)
これが、私が整体の世界に足を踏み入れた経緯です。
前職を退職後、五反田にある「大川カイロプラクティック専門学院」へ入学。在学中より学校直営院で経験を積み、卒業後は念願の「大川カイロプラクティックセンター・とごし銀座院」安藤崇院長(私の師匠です)の元で修行させていただきました。
「体だけでなく心とも向き合う施術を行う」と私が勝手に理解している「とごし銀座院」での約2年間の経験のすべてが私の施術家人生の礎になっており、「一人ひとりと寄り添える整体院を目指す」という当整体院の理念に繋がっています。そして2010年8月、地元・世田谷区で当整体院を開業。現在に至ります。
私の答えは「No」。健康は「当然ではない」と思っています。
年齢を重ねれば重ねる程「自分から取りに行く・求めていく」ものだと思っています。健康であってこその仕事、趣味、生活、そして人生。一度失って、もしくは失いかけて、その大切さに初めて気付く方も多いのではないでしょうか?
私自身40歳を過ぎ、残念ながら体力の回復が遅くなってきていると実感しています。寝不足だと前日の疲れが残り、翌日のパフォーマンス低下にハッキリつながるようになりました。なので、定期的な体のメンテナンスを行うことで私たち全員の体に備わっている「自然治癒力=寝ている間の回復力」を高めることの大切さを日々実感しています。
悪くなってからだと、回復するまでにある程度の施術回数が必要となります。残念ですが1回や2回の施術では無理だとお考え下さい。
もちろん多くの皆さんがココからのスタートですし、最短で回復出来るよう計画的に、そしてベストな施術を尽くします。そして改善後は定期的な施術で良い状態を維持していく。実はこれこそが私があなたの健康に最もお役に立てることだと強く思っています。
そして私、実は健康のもう一歩先でもお役にも立ちたいと思っています。
それは「健康目標」。
「将来、健康になったら何がしたいですか?」というお話です。例えば「旅行に行きたい」ですとか「趣味を再開したい」ですとか。もちろん「自分の脚で競馬場に行きたい」でもOKです。
近い将来でも遠い将来でも構いません。伴走者のように「寄り添いながら」あなたと同じ目標に向かって行くことが出来れば凄く嬉しいですし、この時こそが私が整体を仕事にして良かったと思える瞬間でもあります。実際に当整体院にいらした際には、是非あなたの「健康目標」を教えて下さい!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
峯木カイロプラクティック整体院 院長 峯木康之郎